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長野家庭裁判所 昭和47年(少ハ)8号 決定 1972年9月06日

少年 N・M(昭二七・一・二生)

主文

本件申請を却下する。

理由

一  少年は昭和四六年六月九日当裁判所において、傷害保護事件により中等少年院送致の決定をうけ、同年六月一四日人吉農芸学院に収容され、その後同学院長より少年院法一一条一項但書にもとづき昭和四七年六月八日まで収容が継続され、更に同年五月二五日当裁判所により同年九月八日まで収容が継続されるに至つた者である。

二  本件申請の理由は、要するに、昭和四七年五月二五日当裁判所で同年六月九日より三か月中等少年院への収容継続の決定がなされ、引続き当学院に収容されてきたが、その間の生活態度が、「事故さえ起さなければ」、「日が経てば出院できる」という消極的で安易なものであつたうえに、同年六月七日○橋少年に対する嫌がらせで謹慎一〇日、同年七月一五日には規律違反で院長訓戒をうけたもので、少年には不良親和性が強く、非行文化に染まり切つているので、出院後、特に仲間の誘惑にのる可能性が強い。よつて若干の保護観察期間を見込み満期日(昭和四七年九月八日)の翌日より六ヶ月間の収容継続を申請する、というにある。

三  本件調査報告書および審判廷における各供述によれば、昭和四七年五月二九日の夕方の点呼前に、少年が自己示威のために、新入生の○橋少年の下太腿部附近を一回足蹴りしたこと、このため同年六月七日一〇日間の謹慎処分をうけたこと、右行為は前記示威行為といえる反面、当少年院の指導方針である少年達の自主自立を養うための古参生の新入生に対する指導が度を越したものといえる面があること、同年七月一〇日第二学寮洗面所において、作業ズボンが汚れて臭かつたので同寮生五人位で無断洗濯をし、同月一五日院長訓戒をうけたこと、少年は常に寮内においてA、B、Cの各少年(いずれも古参生)と行動を共にしていたため、周囲の者、特に新入生は無形の威圧を感じていたこと、このため同年八月二〇日から同年九月四日まで二寮一室において特別処遇をうけたこと、しかし、右少年らのグループ行動は新入生に対する威圧を意図したものと認めるに足る何らの資料はなく、却つて、右少年らがグループをなして寮内を往来することが周囲の者をして一種の威圧を感ぜしめたものといえる。そして少年は現在右グループ行動がもたらした結果を反省し、今後右少年らと行動を共にしないように心懸けていること、出院後、少年は兄と同居し、兄の監督をうけること、その就職先も、兄の稼働先である株式会社○藤○諭か、あるいは兄嫁の叔父の経営する○洋○装○業有限会社のどちらかに決定していること、がそれぞれ認められる。

四  右事実によれば、少年の非行性は必ずしも十分矯正されているとはいえないが、家庭の受入態勢は十分といえるであろう。

ところで、本件申請は、再度の申請である。思うに本件のごとき再度の収容継続の申請が認められるのは、初回申請の際における少年の非行性の程度や出院後の受入態勢に、特に著しい変化があつたこと、右非行性の矯正が可能と認められること、および再度の収容継続を認めることと、右収容継続を認めることによりもたらせる少年が更生意欲を減退させることとを比較して、再度の収容継続を認めることが少年にとつても、社会にとつても、終局のところ利益になると判断できる場合に限られるであろう。

少年の本件申請時における非行性の程度が、前回申請時における非行性の程度に比し、特に著しい変化があると認めるに足る資料はなく、また前掲のとおり出院後の受入れ態勢も十分と認められ、かつ、少年も当審判廷において、当少年院においては、これ以上更生の余地はない旨の供述をしている。

五  以上によれば、本件収容継続の申請は理由がないので、これを却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 最上侃二)

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